存在意義

何のために自分は存在しているのか。何のためにこの宇宙は存在しているのか。誰もが一度は考えることである。私は未だに答えを見つけることができない。別にこの宇宙が存在しなくてもいいはずなのに存在している。そして自分も。どうせ死ねば存在しなくなると思えば、何でもできる。生きているうちに好きなこと、楽しいことをすれば良い。別に無茶苦茶しても良い。と思っても、そうはいかない。自分にとって大切な人が悲しむと思うとそれをするにも限度がある。誰にも迷惑をかけない程度に楽しまなければならない。死ねば、辛いことも苦しいこともなくなるが、嬉しいこともなくなる。大切な人が悲しむ。死ぬわけにはいかない。現実がたとえ仮想現実としても、思い切ったことはなかなかできないものである。わかっていても死なないのは、痛い、苦しい、と感じる一方で、気持ちいい、おいしい、楽しい、嬉しい、と感じるから。生存欲求という低次元の欲求から、自己実現という高次元の欲求まで沸き起こる。だから生きたいと思う。欲求を満たすために働くなどの行動を起こす。生き物というのはよくできたものだ。一体誰が考えたのだろう。不思議である。とにかく、大切な人を悲しませたり、人に迷惑をかけたりできないので、真っ当に生きることにする。楽しいことは慣れると麻痺するので、たまには辛いことも経験しておこう。でも辛い目に遭うのは嫌なので、努力しよう。より楽しいことをするためにも努力もしよう。存在意義はわからないが、取り敢えず生きることにする。